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金峯神社流鏑馬神事由来

当神社の流鏑馬は源義家公が奥州阿部貞任・宗任の討伐の折に、北陸街道を下降し、当社へ参拝し朝敵降伏を祈願して流鏑馬を奉納した事が始まりと伝えられています。以来国主・領主・氏子崇敬者の外護を受けて連綿として今日まで伝わっています。

上杉輝虎・景勝を始め堀秀治・忠俊、松平忠輝、堀直寄諸公達は祭馬12疋(ひき)長柄100筋の他に警衛の士卒を差し出され、また牧野公長岡入部以来は、代々祭馬5疋長柄20筋物頭両人、組子100人ずつを警衛として差し出され、長岡十八ヶ町より屋台18台が出されました。

この流鏑馬祭は国を挙げての祭として『天下祭』或は『国祭』とも称され、明治以降は氏子崇敬者の手により執行され、現在は7月15日の例祭日に馬3疋で執り行われています。

昭和46年長岡市無形民俗文化財に指定。

県内では当神社と佐渡に残っているのみで極めて貴重な神事となっております。